東京マリンについて
場所は東京都足立区栗原、最寄り駅は東武伊勢崎線「西新井駅」になります。
1972年に大型屋外レジャープールとして約11,000平方メートルの敷地にオープン。
広さの参考として東京ドームグラウンド部分の面積が約13,000平方メートル。

プール事業を始めるきっかけとなったのは、開業時の社長が親交のあった当時の足立区長に
「荒川の水が汚れてきたので代わりに遊べるプールを造れないか」と依頼されたことだそうです。
開園当初の頃は大型プールが珍しかったこともあり、多い年で25万人ほどの来客数がありました。

そして1980年代後半バブル景気の頃にかけては、毎年のように大型ウォータースライダーを増設。
最終的には40メートルで高さ世界一の「ブラックパニック」など、全部で6種類のスライダーがありました。
その中でも一躍この場所の知名度を向上させたのが、最大傾斜60度という「フリーフォール・カミカゼ」の
登場でしょう。これは毎年夏になると、主にお笑い系のテレビ番組で罰ゲームなどに使われていました。

地元の名所として30年近く親しまれてきましたが、残念ながら2000年の営業終了後に倒産。
背景にはさまざまな要因が挙げられていますが、社会情勢の変化として一部を記載します。
・低料金で遊べる公営プールの登場により客足を奪われた             
・自家用車の普及や公共交通の発達によりレジャーが多様化した          
・90年代以降の長引く不況で割高だった料金が敬遠された            
・エアコンの普及やテレビゲームの登場で外出機会が減少した           
経営面では多角経営の失敗や積極的な設備投資による負債が経営を圧迫したとのことです。

2001年4月になって東武鉄道が施設を買収することになり、プールとしての存続が決定しました。
今夏の来園者数15万人を目標に3,500円だった大人料金を3,000円に引き下げ営業を再開。

7月は好天に恵まれ順調な再出発でしたが、8月に入ってからは一転して天候不順が続きました。
その影響を受け来園者数が9万人程度と伸び悩み、9月3日になって閉鎖の決定が報道発表されました。
開園から長い年月が経ち、設備の老朽化が進んでいたことも理由の一つとして挙げられています。
営業終了後は間もなく解体され、現在跡地はマンションになっています。

     
2001年のパンフレット



当サイト公開の経緯
私は閉園までの2年間の夏を東京マリンでアルバイトをしていました。照りつける夏の
日差し、光りを反射して輝く水面、来園者の歓声すべてが昨日のことのように思い出されます。
ここで過ごした日々は人生に大きな影響を与えたと言えるぐらい充実したものでした。
自分にとって一生忘れることのない貴重な思い出をいつまでも美しいまま残したい。
そんな願いをもってホームページとして制作・公開しています。



当サイトを訪れた方へ
 当サイトを訪れた皆さんは東京マリンに対して、それぞれの思い出があるのではないでしょうか。
毎年のように遊びに行った、地元に住んでいる、アルバイトをしていたなど。こちらで掲載している
写真や資料を見ることによって、あなたが当時の記憶を呼び覚ますきっかけになれば幸いです。
また足立区にこのような大型レジャープールがあったことを将来に渡って残せればと思います。


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